チームの足を引っ張る選手を応援してくれてありがとうございます。

怪我する前は“自分がどこまで成長できるか”と考えると、毎日が楽しかった。神様から与えられた素質、天性だけで野球をやっていたのが、全て崩れ、訳が分からなくなってしまったんです


あれは中学校三年の冬。受験シーズン。その頃までは勉強しなくともいい成績が取れたので、連日IHという友人と帰り道にベジータと悟空はどっちが強いかを議論しては、花屋の息子宅に押しかけてファミスタをやる、というのが私の日課であった。当時野球に全然興味が無くなっていた私はとりあえず強い巨人でプレーするのだが、広島ファンであったIHは負けても負けてもカープを選択した。何度も言った、「前田と江藤は凄い!特に前田は走攻守揃った天才だ」というのは負け惜しみにしかあの時の私には聞こえなかった。確かに前田と江藤にはそこそこ撃たれた気はする。走られた気も。しかしIHはファミスタ自体が私より下手だった。彼の操る赤ヘル軍団を、外のボールの出し入れでバッタバッタと三振に斬りながら、私は言ったのだった。「広島カープなんて、、、、ダサッwww」。ショボイチームじゃないか。日本人ばっかだし。もう優勝は永久にないよw? カープなんか応援したっていいことないぞ、要するにお前は負け組で、つまり本気を出せばベジータが悟空を倒せるに決まってる、と。。

何の因果か、もしかして天罰だったのか、そんな日々から二年程経過した梅雨の蒸し暑いある日。高校二年生の私は森の中でUFOに拉致されてしまい、翌日から突如として広島カープファンになった。広島カープ・・・ってことは前田と江藤か。そんな風に中学の親友の姿と言葉を少し懐かしく思い出した私の前に「天才前田」はいなかった。拉致される直前に、彼はアキレス腱断裂の大怪我を追っていたのだ。その辺りから現在に至るまで、10年連続Bクラスという悲惨な道を歩み始めるカープなのだが、宇宙人には逆らえず、私は結局そのまま、カープを観ていくことになった。だから私にとっての野球選手前田智徳というのは、もう試合に出ることもなく引退するかもしれない幻の強打者であり、こういうのもアレだが、皮肉にも怪我をすることから独り歩きを始めてしまった「前田天才打者伝説」のせいもあって少し非現実的な存在、なのでもあったる。以来、火星人の思惑通り、13年間ひと時も揺れることなく広島カープを観てきた私にとっての「現実」は、前田智徳という選手は三拍子揃った選手、ではなく、常に足を引き摺りながらプレーする痛々しく変わり者の好打者だった。そして(走塁・守備はハッキリ言ってしまえばプロとして平均以下のものになってしまっていたものの)足を引き摺りながらも素晴らしい打撃を続ける彼を、痛々しい姿ながらもグラウンドに立つ彼を愛した。それは負けても負けても目を輝かせて語るIHの「前田」とは違う前田であるのも解っていたが。ともあれ前田は強打者でも人気選手でもあり続けたし、私のカープ生活の中においては常に、前田の打撃が観れる試合はそう長く続かないのだから大事にしよう。そんな風なことを何処かで前提としながら、私は野球を、カープを観てきたのだった。まさかあれから十数年後になっても打席に守備に、あの足のまま立ち続けているなんて微塵も予想せずに。

日刊

元々、気難しい職人タイプの性格でありイチローも憧れた完璧主義者であった前田の野球は、怪我をすることで更に狭まった。調子が悪い時は、テレビで見ていても解るぐらい気の抜けた姿で打席に立ったし、折角勝ってもヒーローインタなどは大抵は拒否した。マウンドとバッターボックスだけの間、ピッチャーが放るボールの回転と自分の練り上げた打撃の技術だけの、ギスギスした野球だった。バガボンド序盤の武蔵のようであり、リアルの戸川清春みたいだった。何かが少しずつ変わり始めたように感じたのはいつからだったろうか。「長く野球がしたい」「元気な姿を見せて、ファンに恩返しがしたい」そんなことをよく口にするようになったのは、ここ3〜4年だったように記憶している。12年間のあれこれを簡単にまとめることは出来ないが、捕えたと思った打球が力なく外野手のグラブに収まるのを見て泣いた日、右足も切れてしまえばいいのにと吐き捨てるように言った日、実際に右足も痛め惨めに「けんけん」しながら三塁ベースにしがみついた日、その中で打ったひとつひとつのヒット、涙の復活ホームラン。青い目の監督に突然任された「キャプテン」。紆余曲折を経て、少しずつ、彼の言葉は変わりはじめていた。ヒーローインタで奇しくもアナウンサーが言ったように、広いグラウンドとベンチをグルッと見渡せる、剣豪のような男に成長しはじめていた。自分、だけではなくチーム。その前にファンありき。チームとファンを大事にするようになった彼に答えるように、その試合は奇跡的な試合になった。七回の裏のツーアウトから四打席目も凡退。首位を争う中日にリードを許す展開。八回九回を抑えられたら前田まで来ない。八回に逆転したら九回裏の攻撃は無い。五打席目が回ってくる確立は低かった。彼の野球人生を表すかのような苦しい内容。しかし八回の裏、これまで繋がらなかった広島打線が奇跡的に繋がった。新井の四球は痺れた。そして前田は打った。こういうことがあるから、こういう男がいるから、やっぱりスポーツを観るのはやめられない。

2000本目の瞬間

解説の大下は自嘲気味に「ポテンヒットになるんじゃないか」と言っていたが、彼の道程が花火のように咲いたライト線への痺れるライナー。ファンが最もよく観てきた弾道だ。やっぱりカープが最高。生涯かぷ一閃じゃ。きっと今も秋田の何処かでカープを応援している筈のIH君には届かなくとも言いたい。酷いこと言ってごめん。ほんっっっとゴメン。ごぬんw。もしも、あのファミスタの日々がカープファンになる布石だったのなら、君に感謝する。カープファンで良かった。ファンになってから一度も優勝無いけど、黒田も新井も人生の手本だ。カープはサイコーだ。孫悟空も今になってみれば凄い奴だった。そして何より前田が最高だ。どうもありがとう、と。


涙のインタ
お前に言われんでも分かっとる!