Iのケンカ野球試論

sleephead2007-12-09


野球日本代表はいい試合だった。非国民ながら、野球ファンなのでさすがに見ました。とはいえ私はちょっとA選手の件もあって、DNAばりにねじれた心境での見る羽目でしたがorz。。でもどうなんだろうか。勝ったのはいいけど、でも個人的になーんか釈然としないのはA選手のためだけではない筈。喜び様、その後のあれこれ、そして今の日本プロ野球のことを考えるにつけ。むー


さて、


I編集長という偉人がいた。名を井上義啓という。安部公房の脳みそをマイクタイソンに移植して格闘技語ってるようなグレイト前衛ジジイである。残念ながら昨年末の今頃72歳で逝去されたが、プロレス編集者として猪木を追いかけ、MMAが出るといち早く飛び付き、死ぬ間際まで最強の想像力と言語感覚を以って最前線であり続け、如何なる哲学言語より重い「殺し」を提唱し、「プロレスは底が丸見えの底なし沼」と定義した哲人、私がこの世とあの世で最も尊敬する男である。Tシャツまで出て、よく売れた(私も買った)。この70の爺は、ハッスルがタレントをリングに上げることですったもんだ言われてた時期に「ハッスルは八代亜紀を出すべきですよ!」と言い、まだプロレスラーがMMA市場で結構価値があった時分でも「プロレスなんてもう、水戸黄門みたいに300人ぐらいしか見ませんよ!」と言い切った。i-modeや裏原文化のこともよぉーく知っており、プーチン大統領のことも早くから評価していた。妄想と真実を繋ぎ合わせてバズーカに乗せて飛ばす彼の放言は、私にとっては事実を超える絶対の存在であった。言わば日本のプロレス格闘技を、日本のプロレス格闘技にした人であった。だから彼が死んだ時、活字スポーツの死を感じたし、「せめてこれからは自分が、I的価値観で物事を見ていかなくてはいけない!」と堅く誓い、勝手に「中野のバカ」を襲名したのである。何故I編集長なのかというと、年末のPRIDEである。Iが晩年最も心酔し、癌で余命が告げられて尚、「俺のPRIDEの夢は終わってないからね!」と言ったPRIDEである。


残念ながら、


格闘技界も野球界と同じような力関係が固まりつつある、スポーツ大国アメリカで強力な地盤を固めたUFCが業界全体を牛耳ろうとしている。これが強いんだ。グローバルスタンダード。格闘技だけは日本がメジャーだったのに、いつのまにかメジャーリーグにすら肉薄、世界の中心にどっかと座っていた。曰く、UFCがベスト、UFC以外は全てJOKE、世界のMMAファンのドリームマッチを実現するのはUFCだけ! 向かうところ敵無し、拡大の一途、確かに手がつけられない。ドラゴンボールで言ったらフリーザである。科学技術・組織力・合理性・生態、どれを取っても最強のフリーザ。セルなんざ、所詮架空の架空、ガチでやったら負けるに決まっている。超サイヤ人なんてのもあれは『週刊少年ジャンプ』だからこそああやってびゃあああっとやってるだけであって、最高の力と最強の思想を持っているのは間違いなくフリーザである。つまり今、MLBUFCは星をバンバン滅ぼす惑星フリーザよろしく、飛ぶ鳥をバシバシ落としながら、世界制覇の道を独走しているわけだ。結局サイヤ人のお猿さんがちょこちょこ抵抗したって、フリーザにとっては「痛かったぞ」程度過ぎず、あえなく撃沈。だって最強だから。宇宙の覇者だから。世界はフリーザ式=アメリカ式の手の中にあるのだ。


野球に話を戻して、


力学・複雑系・同期の法則によれば、フリーザ>悟空>べジータ、即ちUFC>PRIDE>NOAHであり、MLB>NPB>広島、この三層構造の意味するところは力>熱>味、支配>正義>人情、あるいは科学>哲学>文学である。というかむしろ、必ずそうでなければならない、と出ている。高潔にして不遇の戦士べジータ=広島カープ=NOAH王道プロレス…のことはここでは置いておくとして、、熱いハートで対抗する地球のヒーロー、格闘技でのPRIDE=孫悟空にあたるのは、野球でいったら本当にNPBなんだろうか? なんか、それはないな。じゃあ巨人軍、或いは阪神タイガースだろうか。んー、どうでしょう。まず正義とは何か? それは熱があり、ライバルを倒してはヘッドハンティングし、切磋琢磨しながら精鋭の一団を造り上げ、勇気を持って巨大な敵に向かっていく。それがヒーロー=孫悟空の道である。ここまで、PRIDEはそうであった。プロレスの熱を継承し、MMAの血を飲み込み、限界は何処だ?と進んでいった。だから結果として、フリーザに真っ向から挑み、殺された。しかし野球界の孫悟空はなんだか微妙だ。何がしたいのかよくわからない。例えばこのFA争奪戦。マネーゲームで選手集めておきながら、メジャーが出てくるとあっさり早々と撤退宣言。ポスティングで選手を売っておいて、メジャーばかり扱うなとマスコミにブーブー言う醜態。自分等はメジャーへの階段を作ってまっすぐ丁寧に整備してお掃除までしているのに。グライシンガーの件なんて目も当てられない。そりゃボビーはキレますよ。つまり負けは負けでも格闘技界の孫悟空は戦死。野球界の孫悟空フリーザの御機嫌伺い、どちらかというとザーボンさんとドドリアさんである。うわー、いけてないわ。マネーゲームであっさり負けるのは、祖国のテメーが魅力と個性を持たないからだ。金があるんだったらボンズやR.ジョンソン獲れば、メディアも振り向くかもなのに。選手が育たなくなってから生え抜きだ愛だ言っていては、テレビ中継も減ってドラフトが平等化したこれからは、あっという間に廃れてしまう。今こそ、こんな時代だからこそ、巨人はスターを集めてひとつに纏めて勝つ、超(スーパー)ど真ん中の野球をやるべきだと思うんだけどな。現状は、阪神も巨人も孫悟空ちゃう。高田延彦はかつて三沢対小橋をして「迷いがないのが素晴らしい」と言ったものだが、向く方向によってツラの色を変える野球の孫悟空がしているのは、そもそも闘いでもなんでもない。こうなっていてはアメリカは、国際試合で負けたからってビクともしない。日本は闘う前から勝つ可能性も無くしている。然してフリーザは、変身するまでもなくドドリアザーボン従えて闊歩できるのである。


そこで今一度PRIDEである。


去年から今年のことを振り返ると、いきなり宇宙の果てからフリーザが現れたところから始まる。格闘大国日本だけでの話だったのに、アメリカ市場が大拡大 → PRIDE慌てて海外進出 → 成功するも市場の逆転は止まらず → 主力選手移籍 → 解体。。。ベガス(=ナメック星)乗り込んで興行打ったりと、抵抗はしたが為す術が無かった。買収された挙句、社員全員解雇という目にあって消滅させられたPRIDE。どんだけ〜っていう散りっぷり。これは孫悟空というか、クリリンである。負けた。死んだ。終わった。バクハツした。力の差は歴然としており、覆る見込みもない。そして日本プロ格の終戦を見るまいとしたかのように、Iも死んだ。PRIDE DREAMは終わった? アメリカ主導の新MMA社会の始まり?


 否


PRIDEはフリーザの軍門には下らなかった。諸々の細かい事情はあれど、マッカーサーになろうとしたアメリカ人=ダナ・ホワイトの思い通りには進まなかった。全てが中途半端な形に帰結せざるを得なかった。結局、UFCは日本でのテレビ中継を失い、興行も打てず、ファンの支持も得られなかった。少なくとも、どれだけの金が消えたかは知らないが、2007年の日本市場侵略は失敗した。もちろん野球と格闘技では背景とした事情は大いに違うが、格闘技において日本は、アメリカにNOと言った。そしてこの大晦日である。解雇されたPRIDEスタッフがロシア人と手を組んで、アメリカ人に買収させられた筈の「PRIDE」を事実上蘇らせてのビックマッチを決行。しかもUFCと契約しかけた名実共に世界最強の男=ヒョードルを大晦日に引っ張り出すという、壮大なおまけつきだ。これにはたまげた。九回表、ツーアウトからの同点スリーランホームランである。「PRIDE」がやったことはわかりやすい。FEGもDEEPも呼び立てて大連立を呼びかけ、集められる力を全て結集しようとしている。これがホントの元気玉である。超サイヤ人はともかく「クリリンのことかああああああ!」と髪を逆立てたのである。数十億の資本を誇る連中を、リストラされた者達が出し抜いた、私がビルゲイツにゲームで勝つみたいなものである。見事、その面に糞を縫ってやったというわけだ。


とはいえフリーザ元気玉でも死にませんでしたけど。。


さてさて。昔々、世の中がもっと整理されず混沌としていた時分には、様々な波乱に満ちていた。力道山にせよ、A.猪木にせよ、モハメドアリにせよ、「個人」が、とんでもない奇跡を起こすことが出来た。今、とは随分違う時代である。かつて「アントニオ猪木なら何をやっても許されるのか?」という最も複雑な、そして活字プロレスの聖杯たる名言を発した前田日明は今年「PRIDE、ざまあみろ」と言った。単純な言い回しは日明兄さんらしくない、と思ったものだったが、よくよく考えるとこれも理に適っている。構造化された社会で逆転は難しい。強いものはガチガチになる一方だ。だとしたら構造的強者に対して出来ること、それは顔に糞を塗ってやるしかない。そう、これからはざまあみろ時代である。そもそも整理された社会が悪いわけでは全然ない。実際にはメジャーで日本人選手が活躍することで、人民は野球に目を向けることになる。FAでA選手を獲られようが、阪神ファンは広島に大挙して詰め掛けて財政を助けている。それはそれでいいのだ。しかし、その不満や怒りを相手の目を見て言えないのでは日本野球界は情けなすぎる。青い目をしたボビー以外誰一人「メジャーがなんだ?」と言えないのはどうだろうか。NPBは死んだ魚の集団なのか。糞を塗らないと心に火はつかないし、差別化を図れない。こないだの小橋にしても、格闘技? 癌? What? 俺がやりたいのはプロレスだ、というのをビンビンに示したから素晴らしかったのだ。NOAHヲタは燃えた。PRIDEヲタも燃えた。NPBも小橋にならなければならない。やるならやる、やらないならやらない。迷わずに突き進まなくてはならない。巨人軍は福留もグライシンガーもボンズもラミレスもダルビッシュも獲って、「見ろよこの軍団を。豚肉とドラッグに漬けたメジャーの先生方よりもずっと強いぜ。」と宣言し、ヤンキースタジアムでもフェンウェイ・パークでもアポ無しで乗り込んでいくべきなのである。汚い手を使ってもいいのである。その時こそ、日本の野球ファンは燃える。選手も燃える。国際試合はただの祭り。ナイスゲームだったね野球はいいよね、とか言ってまたこれまでと同じことを続けていくためのものでしかない。NPBはへたれな姿勢への批判を、祭りの熱で遠ざけようとしている。Iに言わせれば「日本の野球には(新日本プロレスばりに)『殺し』が無い」となる。


つまり


競技とは、まず先にケンカである。その後にこそ、リスペクトもあるというもの。地獄甲子園において校長は言った。「確かにお前たちの野球の実力は日本一じゃ。しかし今日の相手は野球がうまいだけじゃ勝てんのじゃよ。お前たちの代わりに闘ってくれるのは、ケンカ野球戦士じゃ!」そうじゃ。そうなのじゃ。スポーツマンシップもヒップもないのじゃ。「ケンカ」と「殺し」が必要なんじゃ。件の試合の視聴率は良かったと聞く。ならば、オリンピックをまずは利用するべきである。日本人がテレビにかじりついてる時からこそ、高らかに宣戦布告するべきだ。どうやって? そんなの決まってるだろ! きっとIなら、もしIが野球について語っていたならこういうに違いない。


「紳士協定なんか俺だって破りますよ! 言うちゃ悪いけども、そんな行儀良くやってどうにか金メダル取らせて頂きましたみたいなことやったって、その時だけビヤーっと盛り上がるだけであってね、みんな明日には忘れとるからね。そうじゃないことを大マジにやりたいんだったら、オリンピック決勝でアメリカにコールド勝ちしなきゃ嘘ですよ! NPBソリアーノ帰化させるべきだ! 松坂マネー全部渡して相手キャッチャー買収するべきだ(ドン、と机を叩く)! 乱闘やったっていいじゃねえか! 乱闘でも八百長でもやっとればこそ、後になって、あの時はああでしたこうでした、と語られることにもなるんだよな! 怪我さしてもいいのかって? そんなのいいに決まってるだろ!!!」



殺し 活字プロレスの哲人 井上義啓 追悼本 (Kamipro Books)

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