暑中見舞い ’07(ゼロセブン)

暑中お見舞い申し上げます。世はこともなく、私も元気です。そして短いながら夏休みです。毎年行っている千葉の野外イベントにも今年は参加せず、体調もいまひとつなことですし、冷房の無い実家に帰省するのも躊躇われまして、そう、冷房の効いた部屋に篭ろうとしております。多分快適だと思います。それが今年の夏休み、ああ夏休み、いろんな事を思い出します。まだ子供の頃には、野を駆け、山に登り、毎日がまるで冒険小説のようでした。山が庭のようでした。…そんなことを思い出します。然しながら時は流れ、そういったものというのは、私のような隠れキリシタンには程遠いもののなってしまって久しいのでもあります。でも夏っていいですよね。人民の心も体も解放される夏。小麦色の肌。バーベキューもいいでしょう、花火大会もいいでしょう、南の島なんて最高でしょう。一年のうちで最も華やかな季節。存分に楽しむべきだと思います。因みに今年の私は、後学のためにフロイトを読んで、ペルソナ2をやり、アマゾンにオーダーした瀬戸内寂聴のDVDが届いたら見まくろうとしております。デスノートげんしけんを復読し、今年こそは埴谷雄高に朝鮮・・・いや、挑戦してみたいところです。そして私にとっては20代最後の夏、この2007年の夏休みを財布を忘れたサザエさんで締めるつもりです。ほんの短い夏休み。世間はまるで蝉のように賑やかです。どうか外気が43℃くらいまで上がりますように。人がゴミのように込み合いますように。上半身裸のやくざにぶつかりますように。蟹が熱で爆発しますように。波に戻され浜辺に水死体が漂着しますように。カキ氷喰ったら必ず下痢しますように。海水浴場に盗撮目当ての輩が沢山出没し、沢山捕まりますように。世知辛い、禄でもない世の中ではありますが、出掛ける予定の方はどうか…、どうか気をつけてくださいませ。これを読んだ人だけは、無事に楽しい、「とても快適な」夏休みを満喫できますことを祈りながら、暑中お見舞い申し上げます。

愛の時代の暴君


蒸し暑い季節、いかがお過ごしでしょうか? 私はというと、ずっと考え続けています。。昆虫とそれを恐怖する人間、というものについて。いや、そんな遠回しに言う必要はないですね。ゴキブリについて、です。今となっては当たり前のことではありますし、それ自体がなるべく考えたくないことでもあるのだけれども、大人になったからでしょうか。自分の部屋に並んだ殺虫剤の類などを見ると、考えずにはおれないのです。生物学の本などを少し読んだからでしょうか、自ずと気に留まってしまうのです。何故あんな小さなものを我々が恐れるのかと。特に実害を齎されるわけでもないのに何故、私たちは懼れるのでしょうか。理由なんてあるんでしょうか。改めて考えてみると、とっても不思議です。一体何故こんなことになってしまったのでしょう。本来敵対するような間柄でもない筈なのに、私達は脅かしあってしまっています。本当にこれでいいんでしょうか? そのことを考え続けています。もしかして小さなつまらない誤解や欺瞞だけが、この状況を招いているのでは? 世界のどこかの紛争を、平和ボケした我々は冷めた目で客観し、ともすれば安い正論を語りがちですが、もしかしたらもっともっと皆が、この身近なことを真面目に考えなければならないのかもしれません。そしてこの点さえ解決されれば、この互いに虚しい闘いに終止符が打たれるのかもしれません。そこから平和や愛について、何か学び取れるのかもしれません。人間同士だって、互いに脅かしあう必要なんて無い筈なんですから。まず我々は、彼らと共存することはできないんでしょうか。だって、この美しい地球に生きる仲間ではありませんか。同じ祖先から生まれ、共に海から陸に上がった仲間、言ってしまえば永い戦友です。これまでも、そしてこれからも。立場も姿かたちも結構違えど、生物としてリスペクトし合ってもいいのではないでしょうか。何か助け合える関係が築けないものでしょうか。例えば、犬や猫を可愛がるようにはいかないものなんでしょうか。木々や鳥を敬うようにはいかないものでしょうか。いかないものでしょうね。なんとなく。むりむりw。…大体ありえねーんだよ、いきなり壁にひっついてたり、異常に早かったり。どっからどうきてどうやってどこいってんだよ。忍術か。スプレーかけても全然しぶといしさー。そんで好きに暴れまわった挙句に、最後は絶対仰向けに倒れて一層キモいじゃん。しかも、しかも、殺したとしても気持ち悪すぎて、暫くは黒いもの視界に入るたびに奴かと思ってビクッとしちゃうんだよね。脳内まで侵食すんなって。幻影か。マジキモいしめんどい。つかもう馬鹿なんじゃないの、マジで。
…なあんていう風に、そんなことを考えていたそんな私にも近頃、ひとつ変化がありました。ドロヘドロという漫画にはまっています。内容については割愛しますが、その中にジョンソンという巨大ゴキブリキャラがいるのです。で、これがあまりにも可愛く描かれてしまっているんです。ギュチー。始めは「ギャーこんなの描くな無理無理!」って思ってたんですけど、いつのまにか慣れ、気付けばすっかり大好きになってしまったわけで。ホントに可愛いんです。そうなってみると、あれ?ってな感じなんです。なにこのあたらしいカンジ。矛盾? じゃあ、これはこれなのに、あれはあれなの?みたいな。はいw?みたいな。私は(今度こそ)冷静に考えてしまったのです。そもそもあれを嫌っているのは、他者に押し付けられるイメージであるとか、そういう表面的な要因であって、実際には何かされたわけでもないしトラウマになるような経験もないんです。そのことに思い当たり、ジョンソンを経過した今、ひょっとして次にゴキブリが出てきてみたらどうなるのかな、と。つまり全然どうってことなかったんじゃん、怖くもなんともないじゃん、なんてことになるのではないかなあ、と。ある意味これは妄想だったりするんじゃないかなあ、と。結局は、マンガのドラゴンヘッドみたいに自ら作り上げたものを恐れていただけだったんでしょ? デスノートみたいな独善的な理念に捕らわれていただけでしょ? 製薬会社の陰謀かもよ? イジメじゃないけど、人間ってのは悪者ひとつ用意しないとまとまらない生き物だからね? 確かに「ゴキブリ」なんてネーミングは悪意的じゃね? あー、なんか可愛そうにすらなってくるわ。。そういうことに気づきだしたら止まらないよ。変革というか、改革だわ。俺は気付いてしまったんだわ。もしかして、変われる? うん、変わる! 彼らに対する認識を改める! ちゃんと生き物として接する! 愛を持つ! 俺がマザーテレサになるべきなんだ。キュリー夫人とか。始めはみんなに馬鹿だと思われるだろう。でもいいんだ。例え最初はひとりでも、いつかみんなが同じ優しい気持ちになれるよう、頑張っていけばいいんだ。凄いことをやり遂げるのは独りなんだ。となると、愚かしいスプレー一式はいらないな。捨てっかな。そこからスタートかな。核廃棄みたいにそれが人類にとって大きな一歩になるといいな。そうそう、そもそも金払ってまで買うものじゃないじゃん。もう俺はあんな卑劣なことはしないぞ。例え虫が沸いてきても優しく逃がしてやるのだ。そもそも殺虫剤だなんて傲慢の極みだよ。どうしても排除したいなら素手で闘えよ。スプレーでシュだなんて、逆に汚いわw。ユダヤ人虐殺したなんちゃらと同じようなことじゃん。彼らにしたら原爆投下と変わらんじゃん。最低。ほんと人間って最低。自分の手は汚さずに、気に入らないものは無条件排除、臭いものには蓋ですか。はぁ〜、いい身分ですねww。虫だからってスプレーで手も汚さずに殺すなんて、本気ですか? 何が巣までだ、何が暴れさせさせないだ、いい加減にしろよ。米軍か。そんなのって要は勘違いした馬鹿野郎のチープなプロパガンダに過ぎなくてさ、言ってしまえば気の触れた暴君の為す事みたいじゃないか。くっだらね。もうやめやめ!! 終わりにするよぉぉぉ!!これからは愛の時代だお!!
…なんていう風に思って清清しい気分に浸ってからからどれだけ経ってからだろうか、ある日遂にうちにも出ました。出ましたよ、風呂で体洗ってる最中に。ある意味では非常に待たれていた登場だったわけなんですが、実際出てみるとどうでしょう。どうだったと思いますか? …過ぎたるは泳ぐ猿が如し(どうでもいいって意味)ですが、結果はこうです。風呂で黒い固体を見つけた私は、全身が奮わん覚醒し、焦りまくり、プルプルに震えた手で一旦ドアから出て、居並ぶスプレーの中で最も殺傷能力が高いに決まっているものを取り、それを風呂場全体が曇るまで無心に狂おしく噴射し続けたという有様。あったのは「ぶっ殺す」「絶対逃がさん」のふたつだけ。愛とかではなかったです。変な声出てたかもしれません。理性も記憶殆ど無し。もうある意味全てがプルプル。具体的に何考えてたかも不明。滅茶苦茶よ。戦争だわw。なんかもうイカれた事件起こす厨房みたい。あわわ。しかもこの気の触れた暴君はフルチンだったのだよ。やれやれだぜ。結局、習うより慣れよっつってね。実践で解ったわ。やはりこれは固定概念やイッメージ、そのような薄っぺらいものでは全然ぜんzwnない、心よりも更に内なる本能そのものが恐れているとしか思えない。敵ですよ、きゃつらは! 絶対俺たちの敵! 昔は血迷って折り畳み椅子で撲殺したこともあるわけだしさ、とにかくキモいです。最悪。なんかこれはもう命がけでやらなきゃ勝てないぜ!こういう気持ちってなんだろう、野球のストッパーが、逆転負けされた次の日もマウンドへ向かう時の心理なのかもしれないな。永川頑張れ、負けるな・・・なんていう風になってしまったわけでして、私は焦り驚かされるのみならず、その日は更なる殺虫用具の買い集めをした上に、深夜までそんなカンジの浮き足立った思考を強いられる羽目になったわけです。試合に勝って、勝負に負けたってやつだわ。やっぱムリムリ。んで、更に更に追い討ちをかけるように昨夜は壁から首へ、忍術野郎にいっぱい喰わされたわけです。俺ったら、立ったまま仰け反るスタンディングオベーション。もちろん台所を戦場にしてぶっ殺しましたけど。大変だったなあ。もうほんとにマジで勘弁してほしいわ。次出てきたら、150%殺すから。ただ殺すだけは済まないから! ギッタギッタにしてやるから。今だって思い出すだけですんげームカついてきてるからさ、この気の触れた暴君はどうなるか知らないぜぇええ!!!!111

to live is to die

ホームから飛び降りて自殺しようとした人を助けた警官が亡くなってしまって、その死が非常に非常に惜しまれているのだという。スポーツニュースのサイト以外のニュースを殆ど見ないので今まで知りませんでしたが、例によって「なんて立派で模範的な方だったのかしら、R.I.P!!」という尊敬の念のようなものが湧き上がっているならば恐らく同時に、生き残った自殺志願者やその家族には「テメェらがなんで生きてんだグルァ、今からでも遅くねーから誰にも迷惑かけずに死ねよボケ!!」という、まるで糞に糞を投げつけるかのような悪意染みた糾弾が何かしらの形で行われているんだと思うと、すっかり怖くなってしまいました。人間だからネ・・・。かくいう私も、通勤時に人身事故で足止めを喰らうと「電車だけは、や・め・れ!!」と眉間に皺を作っては、魂の咆哮をしているわけです。我ながら、物騒というか、おっかないなあ。。。ま、実際、それが自然な姿ではあると思うし、世の中にはいろんな人がいますからね。それぞれに事情があって、それぞれの目的で、それぞれが一生懸命、今日という現実を生きているんです。だから色んな事が起きたりして、それがよくないことでも、後になってみれば面白かったりするんだなー。そう、僕らはみんな生きているんだ。区役所で見た「何でこんなに時間掛かるのよ、ねえ!ねえ!!」と若い職員にくってかかる中年女性ズ、100円ショップで今日見た「なんでねえんだ、俺は今日は早く寝なきゃいけねえんだよ、どうしてくれるんだ!!」と悪態つくオヤジ。…お願いだから死んで欲しい、ついついそういう風にも思ってしまうのですが、あんな彼らにも別の立派な顔があるのかもしれないと思うと、何が何だか解らなくなってしまいます(ないでしょうけど)。各々に事情はあり、世界は拮抗し、循環している。とゴキブリホイホイを仕掛けながらオサレに思ってみました。最後に一曲だけ歌わせてもらって、今日はもう寝ますね。


僕らはみんな 生〜きている〜♪
生き〜ているから ウザいんだ〜♪
 


どうも、ありがとうございました。

韓流ライス


ipodを買ってしばらくが経ちました。私的に、さしあたってここまで使ってみた感想としては、音がいまひとつかなと。何故かは解りませんが、イコライザを自分でチューニング出来ないのです。標準で用意されているものはいずれも控え目というか、悪い意味において無難なものでして、なんともインパクトに欠けるなというのが正直なところです。ひとことで言うとヘヴィじゃない。ロックでない。低音をグリグリ出せない、と。何なんでしょう、これは。圧倒的シェアを誇るipodがこれでいいんでしょうか。アリなんですか? 一体これの何がアップルなんですかと。なんだかちょっと、むかつきます。売れてればそれでいいのかと。ただのリンゴかと。リンゴかと。やっぱオカマの国だなと。訴訟国家だなと。ライス長官だなと。…その点は今まで使ってた韓国製は素晴らしかった。いくらでもガチムチの音が出ていたし、自分でフォルダ分けも出来たから整理しやすかった。リモコンについた液晶はストイックで操作しやすく、一切の無駄無し。itunesなど起動せずとも、直接ファイル配置さえすればそれでOK。そう、音楽を聴くのに余計なものはいらない。シャッフルなどとピロピロなことは言っておれない。ゴーゴーストイック。ロックしてるぜ。ビバ韓国。さすが兵役のある国は違うなと。犬喰うだけのことはあるなと。モンゴリアンチョップだよねと。…そんな感じでありまして、まあ、細かい点を列挙するとキリがないのですが、凡そのところで私はそういう風に思っとったわけです。とはいえ物事には裏表があるわけで、言ってしまえばメリットとデメリット。そもそも人間は便利さに慣れる生き物でして、冷静に考えればipodのいい点もあるわけです。だいたい俺…いや私は、韓国製に限界を感じてipodを買う決意をしたわけでして。何といっても、あのコンパクト設計で80GBを誇るということ、起動も敏速で、連続で10時間以上は再生できるということ。韓国製は終盤は3時間持たなかったですからね。それに比べると凄いですよ。レヴェルが高い、と言えます。こんなハイな機械を大量生産できるなんて感激だわ。現代テクノロジー最高。アメリカ最強! ゴッドブレス!! やはりこういうところはテロに屈しない国だなと。FBIというか、NASAだなと。ワシントンではなくクリントンだなと。松坂元気でやっとるなと。…というわけでありまして、色んなことを纏めた私的結論としては、音質はある程度は慣れるし、多少は我慢。飴と鞭みたいな感じで、暫くはipodをそれなりに使いこなしましょと。そして2〜3年して、韓国メーカーも充分小型でハイスペックなハードで勝負できるようになったらまたいいの作ってくれと。そう、待ってますとも。今まさに兵役で泥の中をホフク前進とかして歯を食いしばってるハイパーメガ韓国人達が、犬いっぱい喰ってアメリカを見返すのを。

書評:ドラゴンボールZ


日本人なら誰もが・・・いや、今や地球人なら誰もが読んで育ったといっても語弊の無い漫画史に燦然と輝く名作。それがドラゴンボールであります。私が中学生の時に読みましたが、この度再読に至りました。そして、大人になって改めて見るドラゴンボールは、実に鮮烈でした。すべてよし、というべき説得力と無限の拡がりを持つものでした。俺達はこんなの観て育ったのかと、初号機を見上げるアスカばりにビビりました。特にナメック星を舞台に活き活きと描かれるフリーザ編は最強でした。七つのドラゴンボールにみる人の願いの抽象と具象の反復。無限性。不老不死願望に行き当たる意識と思考の普遍と究極。四段階変化に象徴される、人の絶対的な可能性と不可能性。複雑とした構造において少年ジャンプ式……否!、「べき乗式」に強化していく力は、まるで勝ち負けでどこまでも分類される資本主義社会が暗示されているかのよう。ナメック星人の虐殺に代表される、強き者の性たる残酷さ。嫉妬すること、その為に得る強い決断力。完全に追い抜かれることを受け入れる、という哲学。物語の前半で既に神の力を超えたことによる突き抜けた自由。スーパーサイヤ人、界王などの、立体的な言語感覚による巧妙な世界観の構築。孫親子にみるプリミティブな人間像。キレやすい子供。サイヤ人瀕死からの復活に明示された、逆境こそ進化の好機であるという生命最大の摂理。強さの渇望という抑え難い本能と、そこからくる快感の取得。時間という絶対によって左右される運命のカラクリ。原始的な生態故に際立つナメック星人の知恵。クリリンが陥る安直な恋、亀仙人が齎す率直なエロス。登場人物の名称から台詞まで、至るところに張り巡らされた言葉の暗喩。強い女性としてのブルマの前向きな生き方。殆どみんな空を飛べること。死んだ人間が普通に修行していること。枚挙に暇のないこれらのひとつひとつ超然とした事象、これはひとつの総体となってある種のユートピアを織り成すものであると感じました。そして、その世界の全てをひとつのものに纏め上げる最も強大な力としての「元気玉」があるわけです。。素晴らしい。これがセル編になると、未来から来たトランクスが時間と運命の解かれることのない疑問を投げ掛け、生命の在り方、人工知能の尊厳と避けることの出来ない矛盾。そしてドストエフスキーですら書ききれなかった父と子の在り様と尊厳。進むほどに拡散して多くのことをあらわしています。まるで、人間は何処から来て、何処へ向かおうとするのかを解き明かす重要な鍵を、この次々と現れる強敵との死闘の中で著しているかのようでもあります。漫画は自由であるべきものですが、神と科学と地球重力と時間と生命を、更には死をも余裕で超えたのは、この漫画だけではないでしょうか。だからZなんだと思います(たぶん)。言わずもがな、この漫画のジャンルを超えた影響は計り知れず、言ってしまえば海のように広い、現代文化における聖書のような機能をしたものなのだとも思われるのです。何より、優しい心を持ち、謙虚で、寛大で、細かいことに執着せず、目標に向けて邁進する孫悟空の姿は、人としてかくあるべしという所を教えてくれます。私の中でのドラゴンボールは、大江健三郎ガッツ石松と共に宇宙なのであります。